私たちの地域はなぜか、いわゆる「○ンキー」「もと○ん」と呼ばれるタイプの方々が多く
生活しておられる。産業の町で、工場も多く、、生活レベルもあまり高くない方々が多いのだ。
仕事が終わってからドンキ・ホーテなど行けば、どこからこんなに湧いて来られたのか
と思うほど、店内は「○ンキー」さんであふれている。夜中だというに、子供連れもいる。
親子で金髪、残念なファッションセンス、時には泣きわめく幼児を大声で怒りちらす、下品極まりない、と、最近までは私は、この手の方々を「お下劣だわ。」と思っていた。
私の塾にもたまに、こういうご家庭のお子様が入塾なさる。きちんとした方もいるのだが、月謝未納のまま踏み倒してやめてしまうのはたいていこういったご家庭だ。けしからん、嘆かわしいと、つい最近まで、ただ厭だった。
この5月,胸の詰まるような事件の報道があった。5歳の男児が親の育児放棄により餓死した。死亡する前の2年間は、親はたまにしか帰宅せず、食事もたまにしか与えられず、電気も止まっていたというから、暗い、寒い、さびしい、ひもじい、怖い、暑い、痛い、苦しい、痩せた小さな体にあらゆる苦痛が圧し掛かった。そしてひとりぼっちで死んだ。このニュースはあまりに辛すぎて、しばらくは思いださないようにしていた。いまだに家族や知り合いと話題にして話したこともない。今も書きながら涙が出てくる。さらに哀しいのは、「パパ」「ママ」「ごはん」くらいしか言葉を話せなかったということだ。この子にとって、生きて行くための大切なものが、「パパ」と「ママ」と「ごはん」の三つだったのだろう。この三つさえあれば生きていけたのだろうに、なくなる前の2年間は、そのたったの三つもなかったのだから、ふた親に対し、「馬鹿野郎!」と思う。
6月の某日、ミスターマックスに行った。ここも「○ンキー」さんが多い。今日も、子供が泣く、
「○ンママ」さん怒鳴る、の構図が繰り広げられている。が、不思議だ、うっとうしくない。というより、その元気な親子が愛おしくさえ感じる。それだけ、あのニュースは私に衝撃を与えたのか。確かに品はない、教養もいまいちだ。しかし、怒鳴り散らしながらもそのお子さんは、血色がよく、少なくとも衣食住は事足りているようだ。ほっぺたは子供らしくパンパン・つるつる、片手にお菓子なり人形なり自動車なり、なにかお気に入りのものを握っている。がりがりの子供など1人もいない。センスはいまいちでも、親子でおそろいのヘアスタイル、ペアルックで決めていたりする。この人たちも、必死で子育てをしているのだな、時には大声で罵倒したり、ハリ倒したり、あちこちの支払いを踏み倒したりしながらも、子供を愛し、一生懸命日本の宝を守っているのだな。嫌っていてごめんなさい。
死んでしまった5歳の男の子は、少なくとも私のある価値観を大きく変えた。
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